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お恵渡つれづれ2

少し間が空いてしまいましたが、今回も一月経過する前に書き込めました。毎日暑いですが、皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
可能な限り外に出ない戦法で暑さをしのいでいるため、『原稿進めてます』以外に書けるような日常も無い私です。何か変化といえば、毎日、ラジオ体操をするようになったくらいでしょうか。尾籠なお話で申し訳ないのですが、始めてからお通じが良くなったような気がします。

お仕事の方は、今あれこれとやらせて頂いてまして、来月くらいになれば色々とご案内ができるようになるかと思います。狙ったわけではないのに、なんだかここのところ、一年の後半にお仕事が集中してますね。もっと分散させたいものですが。

代わり映えしない日常報告だけではあんまりなので、前回に引き続き恵渡解説を。
今回は前回の続き『名前(その2)』です。興味を持って下さった方は、追記からどうぞ。



さて、前回の記事の最後に『例外が一つあります。それは相手が官位を有している場合です』と書きましたが、『官位』とは『官職』と『位階』を合わせた言葉です。官位とは、わかりやすく言えば『従五位下』とか『従三位』といった位のこと、官職は『内大臣』『侍従』といった役職を指します。『桜吹雪は月に舞う』の主人公、好文の官位は『従六位下・左衛門尉』ですが、時代劇を見ていると、よく偉そうな武士が『○○守様』と呼ばれているのを目にするかと思います。大岡越前守が有名ですね。

この『○○守』は、さかのぼれば平安時代の受領に辿り着きます。実際に任国に赴いて、その地を治める国司の最高責任者のことです。任国が安房国なら安房守、能登国なら能登守ですね。『守(長官と書いて『かみ』とも)』は国司の最高責任者ですが、その補佐役には『介(すけ)』も居て、この介まで含む場合もあるようです(たとえば源氏物語の空蝉の夫、伊予介(いよのすけ)は伊予国の介なので伊予介と呼ばれています。伊予介と空蝉の関係もまた萌えるので、私は大好きです)。そのため『○○守』を受領名と呼びます。また、『修理大夫』『掃部頭』などは中央政府の役職で、官途名と呼びます。

平安もののお話を読んでいると、受領はお金持ちとして描かれることが多いのですが、これは中央の主だった官職が藤原氏のほぼ独占状態だったことに起因します。中央の官職にありつけなかった中位から下位の貴族が受領として地方に下り、そこで蓄財に励んだわけです。そこから自衛のために武装し、武家へと転身する場合もありました。

しかしまあ、鎌倉幕府が成立したことで朝廷及び公家の権力は衰退してゆき、朝廷に依拠する受領の権力もまた失われてゆきました(受領の代わりに幕府によって置かれたのが『守護』です)。でも、受領の名前や官途名だけは生き残り、受領に代わって実質的な土地の支配を行うようになった武士たちによって名乗られていくことになったわけです。何かと権威が尊ばれた時代でしたので。

平安時代はまだ『能登守』なら能登国を治め、『下野守』なら下野国を治め…というふうに受領名と実際の居住地が一致していたのですが、受領名が形骸化したことにより、○○守を名乗っているのに○○には行ったこともない、というような現象が発生するようになりました。本来、受領は朝廷によって任命されるものですから、名乗るには朝廷の許しが必要なのですが、朝廷も幕府も応仁の乱以降権力が衰微していったため、武士たちが朝廷や幕府の許し無く受領名や官途名を名乗るようになったわけです。だいたい『先祖が○○守を名乗っていたから』みたいな理由ですね。あと、主君が恩賞として家臣に○○守の名乗りを許す場合もありました。勿論、主君は朝廷の許しなど得ていません(例外はありますが)。

そんなこんなで戦国時代が終わり、江戸時代に突入してからも、受領名や官途名は相変わらず権威大好きな武士たちにとっては垂涎の的で、ある程度高位の武士になるとこぞって守名乗り(○○守)を求めたのです。大名は基本的にみな従五位下(諸大夫)以上に任じられており、由緒ある大名家だとそれ以上になりました(水戸黄門こと光圀公は中納言まで昇れる家柄だったので黄門(中納言の唐名)と呼ばれたのですね)。

さて、ではこの守名乗りは大名にしか許されなかったのかというと、そうではありません。一定以上の役職に就いた旗本にも許されました(そのためには数百両の献金が必要ではありましたが)。一定以上の役職とは何ぞや、というと、諸大夫役と言われる役職のことで、三奉行(寺社、町、勘定)、下三奉行(作事、普請、小普請)、遠国奉行などの高位の役職のことです(家柄によっては、御役目に就いていない=小普請もしくは寄合でも守名乗りを許される場合もありました)。これらの役職に就任すると、自動的に従五位下相当の官位を授けてもらえます。旗本でありながら、大名と同格ということです。
『桜吹雪は月に舞う』の主人公、好文の父親の鷹文は遠国奉行の一つである永(長)崎奉行なので、就任した際に従五位下大隅守に任じられました。遠国奉行は江戸(恵渡)から遠く離れた幕府直轄領に赴いて執務をおこなうわけですが、任地に赴く際は五万石の大名と同じ格式で行列を組むことを許されたそうなので、その威光は小大名を凌駕していただろうなと思います。

…と、けっこうな長さになってしまいましたので、今回はここでひとまず終わろうと思います。ここまでお読み下さりありがとうございました。